小樽は、明治から大正時代にかけて、ニシン漁で賑わいを向かえています。
小樽だけでなく日本海側の各地に港があり、各地から漁場の労働者であるヤン衆が集まって番屋では100人以上のヤン衆が寝泊まりしました。(NHKマッサンでも風間杜生が網元でやっていましたね)
この時代の網元は莫大な利益を得て、『鰊(にしん)御殿』と呼ばれた立派な番屋を建てました。ふんだんにお金を使い贅沢な建物を建てました。
昭和初期からニシンの魚穫量が減ってニシン番屋も荒れて行きます。
そのいくつかの豪壮な建物が残されました。そのたくましい木の骨組みや意匠を凝らしたデザインから、当時のニシン漁の網元たち繁栄ぶりが伝わってくるようです。
代表的なのが、貴賓館(旧青山別邸)銀鱗荘(ぎんりんそう)などでしょうか。
写真は、モッコと呼ばれる ニシンを入れて運んだ箱です。これを背負ってニシンを運びました。小樽総合博物館(運河館)の展示物ですが、このモッコにニシンのウロコがまだ付いてました。
下の写真は、ニシン漁に使った道具類です。
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